<教育>【むらの大学】南相馬市フィールドワークを行いました(6/24)

6月24日(土)、地域実践学習「むらの大学」で受講生32名が南相馬市を訪問しました。

これから「むらの大学」では、学生が取り組みたいテーマごとに「生活・コミュニティ班」「農業班」「歴史・文化班」とわかれて活動していきます。そのため、フィールドワークの前日、23日(金)は、立子山自然の家に宿泊し、食事作りなどの共同作業をとおして、グループでの仲を深めました。
すでに、チームビルディング講座をうけ、グループで活動してきているので、食事作りもてきぱきグループで分担して行うことができました。

 

24日(土)、いよいよフィールドワーク。
今回は「津波と原発事故により避難を余儀なくされた地域の現状を学ぶこと」を目的に、飯舘村と南相馬市小高区で様々な方から話を伺いました。

【飯舘村】
今回は、むらの大学では初めて飯舘村について学ぶ時間をつくりました。南相馬市に行くときは必ず通る飯舘村は、今年3月31日に帰還困難区域を除いた地域で避難指示が解除されました。

今回お話を伺ったのは、佐藤工業 専務の佐藤健太さん。

飯舘村では、田畑を仮置き場とし、広大な敷地に山積みになったフレコンバッグが目に入ります。現時点で、除染された汚染土は、村内に234万袋、県内では2,200万袋あります。佐藤さんのお話の中で印象に残ったのは、その「汚染土」というのは、先祖が代々土を耕し、つくり上げてきた財産であり、アイデンティティであるということです。
たくさんの思い出や歴史、誇りがつまったもの、それが人々の想いとともに土地からはがされ、汚染土と呼ばれていることを改めて感じさせられました。
また、「ないものねだりから、あるものさがし」という考え方は、地域再生に向けた一歩になる重要な鍵。学生も今後の小高での活動において、現在あるものを見つけ復興につなげていきたいと思うきっかけとなりました。

【小高神社】
教育委員会文化財課の川田 強係長から小高の歴史や小高神社を案内いただき、説明をうけました。

小高神社は、小高城の跡地にあります。この地域一帯を治めていた相馬氏ですが、源 頼朝の奥州出兵の際の褒美として賜った地で、小高城は約3世紀にわたって相馬氏の居城でした。「相馬野馬追」をはじめ、小高には歴史的建造物や大蛇伝説などの言い伝え、小高ならではの町並みなどがあり、歴史ある小高についての関心がますます高まるとともに、小高に残る歴史や伝統行事は、小高の魅力のひとつなのだと実感しました。そして、生活の利便性などだけでなく、昔ながらの歴史や文化で小高に活気を取り戻すことも大切なのでは、と気づき考えることができました。

【塚原地区】
塚原地区では、元郵便局員の高橋茂さんと震災前の地図を見ながら歩きました。
「ここには○○があって・・・」という話を聞いたり、家の基礎や塀、家屋撤去の看板があるのを見たりする中で、かつてここには多くの家が建ち並び人々の暮らしがあったのだと感じ、津波をうけた家などはすでに取り壊され、今は一面草に覆われている中でも、改めて津波の恐ろしさを知ったという学生が多くいました。
また、原発事故によって避難を余儀なくされ、避難先で自殺された方も多くいるということから、今まで暮らしてきた環境が変わることがどれだけ大変なことなのか、先の見えない中でどれほど不安だったのだろうかと、改めて感じることができました。

今回、学生は空間線量計を持って、さまざまな場所で測定をしました。今回小高で訪問する場所の中において空間線量が最も高いのでは、と予想していた原発から15kmほどの海沿いでは、0.06mSv/h前後。その他も、福島大学よりも低い値が多いことを自分の目で確認したことで、多くの学生が「避難指示が出された地域は線量が今も高い」と思っていた認識との違いと、現在の状況を実感として理解ができました。

【大富地区】
大富地区の半杭牧場を訪れ、相馬秀一さんと半杭一成さんにお話を伺いました。
この牛舎に今は一頭の牛もいません。以前、相馬さんが授業で話をしてくださった際に「牛は家族同然」と言われていましたが、「一週間だけ」のつもりで、その牛たちを残し避難した後、餓死させてしまったことに対して、畜産農家の皆さんの決して消えることのないくやしさや悲しさを改めて感じました。
なぜ、放してあげなかったのか、という声をよく聞きます。たしかに、牛舎につないだままにせず放せば自由に歩けるようになるため、餓死することはなかったでしょう。しかし、そうすることで、近所の農家さんの畑や家を荒らしたり、迷惑をかけてしまいます。また、ペットのようにどこにも連れて行けない状況で、餓死させるくらいなら安楽死をさせてあげたいと思っても、多くの牛や豚、鶏などがすでに餓死し、しばらくしてからの指示でした。「安楽死」というのは、とても難しい問題ではありますが、特に馬や牛などは、動物が苦しまずに死ぬための人間の思いやりの行為なんだと感じた学生も多くいました。
まさかこれほど長い避難生活を送ることになるとは誰も思ってもいなかったのもありますが、家族同然に暮らしてきた動物を、つないだまま避難せざるをえなかった苦渋の決断。「牛を見殺しにしてしまって申し訳ない」そう涙ながらに語る言葉に、その傷は癒えることなく背負い続けていくのだという現実を知り、言葉がでませんでした。

半杭牧場の牛舎は木造ですが、つながれ、おなかをすかせた牛にかじられ細くなっている柱が何本もあります。まるで当時の牛たちの悲鳴が聞こえてくるかのようで、残された牛たちが最後まで生きようとしていた姿を思い、やりきれない気持ちになり、命とは何なのか考えさせられました。そして、「避難するということは、自分や家族だけでなく、生活してきた全てのものを変えてしまうのだと知った」と学生も、この原発事故がもたらしたものの大きさを改めて感じました。

 

現在、半杭牧場の牧草地だった場所には太陽光パネルが設置され、その下草を除草する目的でサフォーク(羊)が3頭います。「近くに生き物がいるだけでほっとする」と半杭さんが笑顔で言われていましたが、牛とともに暮らしてきた方にとって、こういった形でその存在を失ったことの虚無感は、はかりしれないと感じました。

今、小高には1,941人(平成29年6月12日時点)の人が住んでおり、そのうち約1000名が65歳以上とのことです。まだ戻って来ている人は決して多くはありません。それでも、この1日だけでも、出会った方がどれだけ小高が好きなのか、大切に思っているのかを感じたと口にする学生も多く、「今、小高には小高を好きな人たちだけが住んでいる」と語られた文化財課の川田さんの言葉を実感しました。

津波の爪痕など震災当時の面影は薄れてきていますが、それでも「現地にくることの大切さがわかった」「知っているつもりになっていたが、自分の目で見ることの大切さを実感した」という声が多く聞かれました。震災から7年目にして来た彼らの目をとおして、今だからこそ感じることを感じ、できることを考え、取り組んでいけたらと思います。
今回のフィールドワークをとおして感じた「故郷からの避難を余儀なくされ、大切なものを失った悲しみを思い胸が痛くなった」「つらい気持ちを思いだしてしまうのに、私たちに話をしてくれているので、その話を無駄にしないように小高のために頑張りたいと思った」という気持ちを忘れずに、向き合っていきたいと思います。

お世話になったみなさま、ありがとうございました。

夏のフィールドワークは、9月26日(火)~30日(土)で小高区に宿泊滞在し行います。
小高のみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。


<川内村フィールドワークの様子>
http://coc.net.fukushima-u.ac.jp/?p=1777

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